ヤマノカミ

 甲子の山神堂には女神のヤマカミの外に、この男神のヤマノカミもまつられていた。この二神は同時にまつられた夫婦神でないことは女神が立像で、男神が座像であることからも推定できるが木の材質からもうかがえることである。  どちらが先につくられたかは明らかでないが、男神の台座の裏に「元禄十三年 ]と書かれている点から見ると、男神は山神堂建立後24年目に作られたことになる。その点から判断して、最初山神堂建立とともに女神がまつられ、あとで男神像がむこ入りしたものと考える。尚、沢内通りにわ100体を越す山の神が祭られているが、年号入りのものとしてはこの男神像が一番古い。
ワラダ

マタギの狩猟用具の一つにワラダがある。ワラダというのは大人の親指位にたばねた藁をドウナツ状に5巻きぐらいに編んだもので, 輪の直経は30cm内外,これに投げ易いように木の取手をつけたものである。 しかし,なかには材科にシゲを用いたものや,取手のないものなども見受けることがある。 このワラダを休息中のノウサギに向って空中に投げてやると,ヒューッという音がするので, ノウサギは一瞬タカに襲われたものと錯覚して,あわてて雪穴にもぐっ込んでしまう。それを手捕りにしようというわけである。 一見まことに原始的な方法のように思えるが,ノウサギの習性を巧みに利用したすばらしい猟法であって, ワラダ使いの名人になると,ほとんど失敗することはなかったそうである。 新潟県の秋山郷では現在でもワラダ猟を行っている者がいるが,ここではワラダといわずワダラと呼んでいる。
ヤリ、タテ

マタギの本領は熊狩りにあった。そして,猟銃が普及しない以前のマタギの猟具の主役はヤリやタテであった。 その穂先は長さ20〜30cmで,広巾のがっちりしたものである。マタギは山の神の加護を信して,ヤリやタテ1本で猛獣の熊に立ち向ったのである。 ただし,ヤリやタテで熊を捕ったのは主として冬眠中の熊であった。 冬眠中の熊は眠をさましても急に穴から飛び出すようなことはなく,しかも.ものを引き入れるぱかりで,ものを押し出すことをしない習性がある。そのことを知っているマタギは冬眠中の熊を見つけると.入口に丸太をあてがい,柴木などで熊を入口の方におびき寄せ.そこをヤリやタテで突いて仕止めたのである。 そういう熊の習性や熊の捕りかたをもっともはやく身につけたのは秋田のマタギたちであったように思われる。
カナカンジキ

マタギの熊狩りの適期は4月中旬から5月上旬にかけてである。そのころはちょうどツキノワグマが冬眠からさめて, 穴から出るころで,行動が一番よくわかる時期である。 そして,熊の胆が最大になるときでもある。それに加えて,熊の棲む奥山は融雪の最盛期で晴天がつづき,歩きよい時期でもある。 ことに,晴れた日の朝は雪の表面はコンクリートのように凍結するので,どこへでも歩いてゆける。 東北地方ではこれをカタユキと呼んでいるが.カタユキの斜面ではスリップし易いので,マタギは滑り止めにカナカンジキを使用する。 それは登山家のアイゼンと全く同じ用い方で,カナカンジキには爪が三つのもの四つのもの,五つのものなどがあり,それぞれミツメカンジキ,ヨツメカンジキ,ジユウモンジカンジキ,ゴドグなどと区別して呼んでいる。
クマトリバサミ、ガバサミ

けものにはけものみちというものがあるがけものの種類によってその通りみちに特徴がある。 マタギたちは長年の体験によってその特徴を知っており,わなを仕かける場所を選定する。 わなにはいくつかの種類があるがクマトリバサミやガバサミは鉄製のバネ仕かけのもので, それをふむとバネの作用で足をはさみつけてぬけないようにしたものである。これらのわなは枯葉などで上面を覆いかくし,その周辺に餌を置くことが多い。 クマトリバサミは熊を捕るのが目的で,尾根すじに仕かけることが多く,ガバサミはテン,キツネ,タヌキなどを捕るのに用いる。 テンは沢越しになっている古い倒木の上を通ることが多いので,テンを捕る目的の場合はそういう倒木上に仕かけるのがコッである。
ヒナワジュウ

秋田マタギの伝承を調べてみると,弓矢を使用した形跡はない。 猛獣の熊に弓矢では役にたたなかったからであろう。 ただし,けものみちに仕かけたものに弓状のものがあるが,これは仕かけ矢であって,普通の弓矢ではない。 したがって.熊狩りのための飛び道具は火縫銃が初まりであろう。 そして,熊狩りは火縄銃によって一段と容易になった訳である。 ただし,そのころは火純銃を個人で持つことは禁止されていたので,各藩ではマタギに火縄価銃を貸し与え,そのかわりに熊の皮と熊の胆を上納させていたのである。 そのころからマタギの存在が大きくうかびあがり,マタギとしての渡世が確立したように思われる。


碧祥寺博物館