榊原匡章経暦書
*1940年伊勢市に生まれる
1940年宇治山田市、伊勢神宮神官の家に生まれる。
1951年まで伊勢神宮神事記録写真を長年写真撮影する。
伊勢神宮神事「伊勢神宮の塩作り」写真個展を開催。東京渋谷「たばこと塩の博物館」にて2ヶ月間写真の個展を開催する、撮影フイルム1万点を博物館に永久保存される。
東京駅内月光ギャラリーにて伊勢神宮風景写真展を開催、竹内敏信氏に支持。
東京銀座キャノンサロンにて「伊勢神宮」の個展開催、写真家評論家田中雅夫氏、写真家横山宗一郎氏にアドバイスして頂く、岩井半四郎氏に発起人になっていただく。
「週刊新潮」のグラビアページに記載するも伊勢神宮広報からクレームあり、編集長と私、謝る後、始末書を取られる、以後2度始末書を伊勢神宮から取られる。
1951年勧業銀行の1月発売の宝くじ券の写真を記載するも伊勢神宮内宮と外宮を間違えて記載、10年間出入り禁止を言い渡される、以後伊勢神宮からは離れる。
伊勢神宮神域内の名水百選「天の岩戸」にて禊を始める。
神の啓示を受けて絵と書を描き始める。
東京小田急百貨店にて第一回絵画と書の個展を開催する、以後第十六回展まで連続開催。
写真評論家の伊藤知巳氏に新しい画工の誕生と推薦文を頂く。
世界一大きな絵本、2m×3mで30ページの和綴じの絵本を福井県今立町より頼まれ絵と書を描く。
伊勢有料自動車道開通記念行事、2000ピースのジクソーパズルを企画制作。
1995年「全国古城絵巻五十撰」福井県丸岡城を5月6日から描き始める。
越前和紙を使用、全長270m幅2m30cm重量300kgの和紙に1城5mに墨で輪郭、赤、黄、紺、緑の色を使い現地で描く、現地の市民に色付けを手伝ってもらう、全国50城の城を描く、犬山市役所及び犬山市民ボランテァ団体「全国古城絵巻五十撰実行委員会」の協力によって12年の歳月の末、完成する、愛知万博に出展、絵巻を犬山市に寄贈。
「テレビ放映」 みのもんた「今日は何の日」で出演、NHKテレビ出演は愛知、三重、松江、高知、島原、福知山、弘前、及び全国の民放にて放映。
「新聞記載」朝日新聞、中日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、産経新聞、
東京新聞、神戸新聞、愛媛新聞、中国新聞、福井新聞、富山新聞、山陰中央新聞、など。
「雑誌記載」週刊新潮、週刊朝日、4×4マガジン、月刊「現代」で8年連載。
「星のしずく」CDをビクターから発売、祝詞を神殿で弾き語り演奏。
神職,絵師、書家、祈祷師、音楽家、家相鑑定士、写真家。
2009年7月28日から8月2日まで名古屋国際空港「セントレア」にて
全国古城絵巻五十撰の絵巻、280メートル×2.30、重量300Kgを展示する
NHKテレビ全国放映、東海テレビ、各新聞社記載、
〒515-0045 松阪市日本村一番地 909-64 HP 検索 絵師 榊原匡章

 

絵師榊原匡章について
新春、素晴らしい賀状が舞い込んだ。
可憐で慈愛に満ちたお地蔵さまが、軽やかでのびのびとした筆使いで描かれていた。
見事な配色もその地蔵像にえもいわれぬ生彩を与えていた。
かつて無名の石工たちが、石にその魂を刻印したように、現代の無名の絵師が絵筆で和紙 に入魂の業をふるう。
私の心はふるえる喜びを味わい幸せに恵まれた。
無欲無心の画境に遊びうる絵師の存在は、それだけでも今日のぎしぎしした人間社会では 稀有のものだというべきだろう。
系譜的に棟方志功、清水公照氏(東大寺前管長)らの系譜につながるが、榊原匡章氏の作 品は、いかにも若やいだ新鮮さ
をにじませていて、さわやかである。
石仏、仏像、女人像から静物、風景、動物へと、そのモチーフも次第に領域をひろげつつ ある。
新しい画工の誕生である。とかく現代では無視されがちな「アマチュアリズム」がまさに その真価を、躍動的に発揮し、
人びとの心を捉える。
その屈託のない自由さの、なんと魅惑的なことか。
一九八三年五月二十七日 甲府の宿にて 写真評論家 (故)伊藤知巳

伊藤知巳(いとう・ともみ)
一九二七年 東京に生まれる。
一九四七年 早稲田大学文学部独乙文学専攻に入学。
      「早稲田大学新聞」会に入会。
      早稲田大学学生自治会中央執行委員。
一九五〇年 土門拳氏助手。
一九五一年 (株)アルス社入社。
一九五五年 アルス「CAMERA」編集長。
一九五七年 フリーの写真評論家として独立。
      日本写真批評家協会の設立に参加。
      桜井春華さんと結婚。
一九六〇年 日本ジャーナリスト会議写真支部結成に参加。
一九六五年 日本リアリズム写真集団に入会。
一九六七年 日本リアリズム写真集団事務局長。
      「明るい革新都政をつくる会」幹事。
一九七四年 日本リアリズム写真集団附属「現代写真研究所」の設立に参加、教務主任になる。
一九八三年 「土門拳記念館」設立準備委員、顧問。
一九八六年 山形県酒田市で心不全のため逝去。
      享年五八歳。
      この間、東京綜合写真専門学校、東京造型大学、桑沢デザイン研究所などの教授を歴任。
「ヒロシマ・ナガサキ」(日本原水協)、「若きウタリに」(研光社)、「土門拳全集」(小学館)、「世界」
(グラビア・岩波書店)等の編集を担当。

 

榊原匡章の70年
1940年、宇治山田市、伊勢神宮神官の家に生まれる。            
伊勢神宮神事写真家、東京渋谷、たばこと塩の博物館にて「伊勢神宮の塩作り」
写真展2カ月開催する、キャノンサロンにて「伊勢神宮」写真展
伊勢神宮の写真、雑誌に記載禁止を破り週刊新潮グラビアに記載などで始末書3回、昭和51年1月、宝くじの写真内宮正殿を間違え、外宮の御蔵を写真記載がばれて、10年出入り禁止その後神宮写真から遠ざかる。
絵を描き始めて6カ月後に東京小田急百貨店にて、16年間連続個展する。
横浜高島屋など他の百貨店にて100回個展。
テレビCM2本出演、幻の御師に映画出演、
日本で初めての試み、「世界一大きな和綴じ30ページの絵本」絵と書を担当
福井県今立芸術館からの依頼で6カ月、NHKテレビ番組放映、奈良薬師寺展示
伊勢高速有料道路完成記念行事、2メートル×108メートルの2000ピースのジクソーパズル完成、300人が1時間で貼りつける、NHKテレビ番組。
ズームイン朝の番組、三重テレビ番組。
平成4年5月6日から全国古城絵巻五十撰を描き始める、幅2.30センチ×長さ270メートル、重量300キロ、越前和紙。
犬山市のボランテァ団体、当時犬山市長、2010年現在民主党代議士石田先生が発起人。みのもんた「今日は何の日」出演、全国各テレビ出演と新聞記載。
北海道の松前城から沖縄の首里城まで全国50城を12年間で仕上げる。
愛知万博に出展、名古屋国際空港にて1週間展示、
月刊現代8年間絵を担当、週刊朝日、週刊新潮、グラビア記載
15年前ビクターエンタープライスから「星のしずく」CD発売、1曲53分。
70才にして、ホワイトロック奏者とボーカル「白鍵をロックして演奏する」楽人匡章とトリオザ通天閣のメンバージミーヘンドリックスギター奏者の中野重夫、ドラムス野田直哉、トランペットのローディ池田、ベースの出口タロー、新大阪WAZZオーナーのサックス奏者高木哲男。
2010年四国八十八ヶ寺歩き遍路中、三回目はハーレーダビッとソンで行く。
絵師、書家、音楽家、作詞家、神道家、写真家、家相鑑定家、デザイン家、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
515-0045 松阪市日本村一番地字まえのへた909-64 榊原匡章でHP:検索
電話 0598-21-4111 ファクッス 0598-21-4128